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今、暇していますよね。
それも東京ドームで暇をもてあましていますよね。
待ち合わせでしょうか?休憩時間でしょうか?
もし、よろしければ、少しこのサイトにお付き合いいただけませんか?
このサイトでは、東京ドームにまつわる歴史を書いています。今、あなたのいる東京ドームがどのように建設されたのか、読んでみませんか?
読むのに必要な時間はだいたい10分前後といったところでしょう。もし、お時間に余裕があれば、お付き合いくださいませ。
5期からなる「東京ドーム」
最初に、東京ドームを上から見てみましょう。

東京ドーム周辺
画面中央、白い屋根の建物が東京ドームです。
すぐ南が、後楽園ホールなどが入る青いビルで、その南東が東京ドームシティです。西の森のようなところは、都立庭園「小石川後楽園」で、その南はトヨタなどのビル群です。
東京ドーム真北の緑の屋上の建物は「文京区役所」で、その西は「中央大学」です。
いちおう、分かりやすく名前を書いたのが下の地図です。

東京ドーム周辺
これらを踏まえた上で、東京ドームが完成するまでの時期を、5期に分けて紹介していきます。
第1期:水戸黄門の屋敷 時代
江戸時代

『江戸砂子年中行事 端午の図』揚州周延 画
時は江戸時代にさかのぼります。
江戸時代、東京ドームのある場所は、水戸徳川家の中屋敷(後に上屋敷)の中でした。屋敷の中に、初代藩主の徳川良房が庭園を造り、二代藩主の光圀が完成させました。
この二代藩主の光圀は、時代劇ドラマで有名な「水戸黄門」様であります。
水戸黄門は、東京ドーム周辺に広大な屋敷を持っていたのです。

水戸屋敷の敷地(江戸切絵図)
屋敷の敷地は、水道橋東口前の東京ドームシティホールから、東京メトロ後楽園駅あたりまでと、とても広いものでした。
よく面積を測る基準として東京ドーム何個分と言いますが、ここは実際に東京ドームが1つ入っています。それでも東京ドームで換算すると、だいたい6個分くらいの面積でしょう。

水戸徳川家の屋敷の面積
また、地図の左側にある「小石川後楽園」は、水戸徳川家の庭園の一部を、東京都立の庭園として整備したものです。入園料を払えば自由に散策ができます。
第2期:東京砲兵工廠 時代
明治3年(1870)~昭和12(1935)

明治天皇の東京行幸(月岡芳年画)
江戸時代が終わると、水戸徳川家の屋敷は明治政府に接収されました。
代わりにできたのが、東京砲兵工廠(ほうへいこうしょう)という鉄砲や大砲など兵器の工場です。こんな東京のど真ん中に、兵器の工場があったなんて驚きますが、時代が時代だと考えると納得です。
東京砲兵工廠は水戸屋敷をそのまま敷地としていますので、地図で見ると、江戸時代のものと変わりはありません。

東京砲兵工廠のあった場所
しかし、東京砲兵工廠は、関東大震災で甚大な被害を受けてしまいます。被害は修復不可能ということで、昭和12年に九州の小倉に移転しました。
ここで兵器を造っていたという名残はほとんどありませんが、東京ドームホテルの裏側(ドーム寄り)に「旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ」が残されています。
このレンガはあまりに固いため、解体当時の技術では取り除くことができず、地中に埋められていました。後に東京ドーム建設時に掘り起こされ、この場所に展示されています。

旧日本帝国陸軍東京砲兵工廠跡の基礎用レンガ
さらに、後楽園ホール北側にある「礫川(れきせん)公園」には、射撃場の入り口後が残されています。

東京砲兵工廠 試射試験場跡
興味があれば見に行ってください。
第3期:後楽園競輪 時代
昭和24年(1949)~昭和47年(1972)

東京浅草の仲見世
東京砲兵工廠が小倉に移転した後、この地にスタヂアム(野球場)が建てられます。
それまで東京都内の野球場といえば「明治神宮球場」でしたが、ここは大学野球の聖地で職業野球(プロ野球)に使用許可が降りず、上井草や洲崎で試合をしていました。
でもまぁ、それはちょっと不便だということで、この地に新しい球場が建てられることになったのです。
つまり後楽園球場ですね。
ただし、東京ドームとまったく同じ場所に後楽園球場があったのかというとそうではなく、後楽園球場のあった場所と東京ドームのある場所は微妙にずれていました。
なぜなら、後楽園球場を壊してから跡地に東京ドームを造るとなると、最低でも3年はかかるからです。3年間も球場が使えないと、東京ドームもジャイアンツも大損害ですよね。
だから、後楽園球場で試合をしながら横に東京ドームを建てて、東京ドームが完成してから後楽園球場を取り壊したのです。で、後楽園球場がどこにあったのかというと、東京ドームの南西、つまり東京ドームホテルや東京ドームシティのある場所です。
では、どこかに後楽園球場の名残があるのかというと、上の項で見た、砲兵工廠の「基礎用レンガ」の案内板に、後楽園球場のことが書かれているのです。

案内によると、基礎用レンガのある場所が後楽園球場でいうセンターの場所だったようです。
世界のホームラン王こと、王貞治氏の記念すべき756本目のホームランはライトスタンドに飛んでいったので、東京ドーム方面から水道橋駅西口のほうに飛んでいったということです。
ちなみに、東京ドームの中にある「野球博物館」では、旧後楽園球場のスタンドのシートと、ダッグアウトのベンチが移設されていて、自由に座ることができるそうです。
で、後楽園球場があったとき、今の東京ドームの場所には何があったかとういうと、後楽園球場が建てられた昭和12年(1933)には何もなくて、昭和24年(1949)に後楽園競輪場が造られました。

昭和22年の後楽園球場

昭和38年の後楽園球場
上の図を見ると、昭和22年の地図には何もなくて、昭和38年の地図には後楽園競輪場があります。昭和24年(1949)に建てられたということが分かるでしょう。
競輪場ができたのは、前年の昭和23年(1948)に自転車競技法が甲府され、自治大臣が指定する市町村は「地方財政の健全化」のため、公に競輪が開催できるようになったからです。
昭和38年(1963)には全長150メートルに及ぶ屋根付きスタンドが完成し、スタンド収容人員は4万5千人であったそうです。
第4期:後楽園ジャンボプール 時代
昭和48年(1973)~昭和61年(1986)

しかし、競輪場時代は長く続きませんでした。
当時の東京都知事・美濃部亮吉氏が「ギャンブルはいかん!」ということで、「東京都による公営ギャンブル廃止」を決めたからです。都に禁止されちゃあしょうがないとうことで、あえなく競輪場は改装され、後楽園ジャンボプールができました。

後楽園ジャンボプール(東京ドームより)

デジタル朝日新聞(https://www.asahi.com/)
後楽園ジャンボプールは、見ての通り競輪場のトラックをそのまま利用してプールにしています。
野球場があってプールがあってと、今の東京ドームシティは家族が一日楽しめる施設となっていますが、そのコンセプトはこの辺りに形成されたようです。
ジャンボプールは昭和61年(1986)まであったので、この時代に東京周辺で幼少期を過ごした人の中には、後楽園ジャンボプールで泳いだよという人も少なくないかと思います。
残念ながら、今はジャンボプールがあったときの名残はないようですが、それは泳いでいたよという人たちの記憶の中にあるということにしておきましょう。
第5期:東京ドーム 時代
昭和63年(1988)~
後楽園球場が完成したのは昭和12年(1933)なので、この時すでに35年が経過していました。いよいよ老朽化ということで、新球場の建設計画が立てられます。
でも、ただ新球場を造るだけではおもしろくもなんともありません。造るなら「これまでにない新しい球場を!」ということで計画されたのが「世界初のエアードーム球場」でした。
それまでにも世界にドーム球場がいくつかありましたが、どれも柱で屋根を支える構造ばかりでした。
しかし、新球場は違います。空気の力で屋根を膨らますという方式が採用されたのです。そうです、日本初のドーム球場、世界初のエアドーム球場、それこそが「東京ドーム」なのです。

デジタル朝日新聞(https://www.asahi.com/)
上記の通り、東京ドームは後楽園球場で野球をやっている横で造られていきました。
ほんとすぐ横で造られていたので、後楽園球場に行った帰りに、工事中の東京ドーム見学して返った人も多かったそうです。世界のホームラン王・王貞治氏も試合が終わったあとに野球用から工事用ヘルメットを被り直して見に行っていたそうです。
そしてついに完成したのが、昭和63年(1986)のこと、当時は「ビッグエッグ」なんて言っていましたが、今では誰も言っていません。日本で、初めてのドーム球場が完成したのです。
東京ドームの歴史を感じてください。

東京ドーム(2020.1.5)
このような歴史を経て、東京ドームは今の場所に経っているのです。
つまり、今あなたが立っている場所は、水戸黄門、もしくはそこに仕えていた家来、工場で武器を作っていた職人、競輪で大損したギャンブラー、プールで遊んでいたナンパ師などが、立っていた場所であった可能性もあるのです。
時代にロマンあり、歴史に思いを馳せてください。
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